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以前、長野桜友会総会でおじゃましたホテルで、今回 イベント実行本部となった「ホテル信濃路」
です。
ここで、8日夜の懇親会を行います。
相部屋しか空いていなかったので、富山地区の女性陣が宿泊します。
関東地区の参加者は、シングル希望なので、近くの東横インに宿を取ってあります。
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12時頃に到着し、曇り模様でしたが、一応晴れていてほっとして、14時の長野駅集合の皆様をマイクロバスで迎えに行きます。
駅前の善光寺口が集合地点でしたが、北側駐車場にしかバスが着けられ無いことが判明し、急遽 集合地点を改札口脇に変更して、全員に連絡します。
ご迷惑を掛けした人も居ましたが、なんとか全員無事にピックアップして、ホテル(ホテル信濃路)へお連れし、荷物を預けることができました。
到着してまもなく、長野桜友会会長以下、各地区支部長が揃って来られ、全員で「真田宝物館・真田邸・文武学校」へと向かいます。
予定通り 最初に、「真田宝物館」へ向かいます。
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真田宝物館の概観です。
参加会員が入り口に陣取っています。
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アップロードの承諾は取っていますので、折角ですから少し大きく写しました。
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館内にある記念撮影用のスタジオでツーショット。
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女性初の自衛隊佐官になられた事もあり、背筋がピーンと伸びておられます。
猫背の私は、汗をかいてしまいます。
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「大阪夏の陣屏風」の前で、私が説明をしている所です。
陣旗・馬印等の旗指物の印や家紋を見て、どの武将かを判別する見方や、当時の陣形についてを、配布したパンフレットを参考に説明を行います。
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館内の案内人等に排除されないかビクビクしながら、必死に説明をしています。
配布しました詳しい資料は、此処をクリックしてご覧ください。
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あっという間に、真田宝物館見学の予定時間が来て、説明も充分にできなかったのが惜しいです。
次に、真田邸へ向かいます。
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真田邸の門前で記念撮影です。
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しっかりとした木組みの上に建てられているのが、有り有りと分かり、且つ 機能的に各部屋が配置されています。
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此の記帳台で、正座しながら研鑽されていたのですね。
私には無理です。
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観る所が多く、時間が残り少ないのが気になります。
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お庭が立派なので、記念撮影。
分厚い板の縁側なので、安定感たっぷりですね。
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別のグループは殿様座布団で記念撮影です。
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皆さん、様々に性格が出ていますね。
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閉館が迫っている文武学校に滑り込みセーフ。
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館前で記念撮影。
足元の砂利敷きは、雨による泥沼防止と、招かねざる客の来訪を察知する為なのでしょう。
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文武学校は真田邸よりも左官職人の腕が良いのか、それとも宮大工の采配が良かったのかは分かりませんが、土壁の塗り込みが良く、乾燥後の土壁上部のスリットがありませんでした。
次に家を建てるチャンスがあるかどうかは分かりませんが、和室の造り込みの良い勉強材料になると思い、桜皮の敷居の滑り張りや障子・襖の構造等を詳しく見ていましたら、皆様は何処へか居なくなっていました。
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皆様 ちゃんと記念撮影をされていたんですね。
此処でアップしましたから、しっかりと足跡を残されています。
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午後5時近くになったので、館員が雨戸を閉め始めたのを観て、昔、雨戸を閉めていた記憶が蘇りました。
明るい内に、近くにある松代城(海津城)を明日に備え、下見に行きます。
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大分疲れてきた為かばらばらに到着、到着順に記念撮影をします。
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太鼓橋の上で記念撮影していますが、明日は向かって右手 手前側に陣取る予定です。
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私も記念撮影に加わります。
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石垣が神経質にきっちりと組まれているのが分かりますね。
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後からの皆様の加わって1ショット。
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全員揃ったところで記念撮影です。
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太鼓門に入る所で記念撮影。
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お城の門構えは立派ですが、敷地の狭さが気になります。
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一の丸石垣よりの展望です。
昔は城の堀として、千曲川が流れていた筈なので、敷地はもっと広く川はもっと手前まで来ていたと想像を巡らします。
この感じでは、1万以上の完全武装の武田軍が入っては居られませんよね。
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午後5時を回って来ましたので、6時からの懇親会に間に合うかが、心配になってきました。
タクシーを呼び、ホテル信濃路へ急ぎます。
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今夜の料理作成の主役さん達です。
左から横山タカ子先生(長野桜友会会長夫人)、小林勝己料理長、落合浩史宴会調理マネージャー 様です。
ホテル信濃路のご好意により、横山タカ子先生監修のコース料理を、料理長・宴会調理マネージャー様に制作して頂きました。
ご無理を頼みまして、誠に申し訳ありませんでした。
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此処で、横山タカ子先生の紹介をいたします。
大町市生まれで長野市在住、長年にわたり、信州の伝統食について、フィールドワークを含めた研究を重ね、地元の食材の良さを生かしたオリジナルレシピを考案。
信越放送・NHKのテレビ・ラジオ、講演会で「健康と食」の啓蒙に努めておられます。
NHKの長寿番組「今日の料理」に3回も出演されてもいます。
長野県のおいしい信州ふーど公使、伝統野菜認定委員長、観光振興審議委員をしておられ、松本・東京・青山のNHKカルチャーセンターや銀座NAGANOでの講師を務めておられ、NHK関東甲信越地域放送文化賞・長野県知事表彰も受賞されています。
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食べ始めに、横山タカ子先生の食に対する講義をして頂きます。
酢がキーワードとなっているようで、最初に酢を飲めばよいようです。
お酒を飲むタイミングは、その後なら何時でも良いようです。
安心しました。
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今日のお品書きです。
健康に良さそうなメニューが並んでおり、楽しみです。
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我々の意を汲んでいただき、横山タカ子先生が、ホテル側とわざわざ交渉をして頂き、今回のメニューが成立しましたので、恐縮する次第です。
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前菜メニューです。
季節感に溢れる多くの種類の野菜等が可愛らしく創作されています。
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これから後、どんな物が出てくるのかが楽しみです。
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先生特製の酢で合えた野菜盛り合わせです。
これだけでも多くの野菜点数があります。
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女性陣には好評で、味も良く、私もお代わりをしました。
先生も各テーブルを回ってくださり、レシピの説明をしていただきました。
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中央の刺身以外はほぼ全てが野菜料理で、ヘルシーで、カロリーを気にしながら食する必要はなさそうです。
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私は職業柄、各製造企業との懇親会に多く出席していますが、コレステロールが多そうな料理に悩まされ続けましたので、このようなお料理が出れば大変ありがたいなと真剣に思いました。
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終盤近くに肉料理がでましたが、やはり野菜が多く付け加えられており、食し易くなっています。
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ホテル側のレシピと、横山タカ子先生のレシピが見事に融合しています。
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最後に十六穀御飯と野菜の具たくさんの味噌汁が出ます。
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健康・長寿に最適な、しかも美味しくいただけるレシピを突き詰めて考えられいるるのが良く分かります。
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横山タカ子先生の著作本です。
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発酵食品や、地元の食材を利用した昔ながらのレシピを尊重した先生独自の料理法が記載されています。
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東京地区から参加されたグループの挨拶です。
少人数でもありますので、あまり緊張されずに各自が話せるところが良いですね。
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皆様、珍しいレシピのフルコースを召し上がられ、リラックスした中で、互いにテーブルを行き来しておられました。
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私が挨拶しているところですが、3テーブルで、こじんまりとしており、お互いの親睦を図るには最適な人数と思いました。
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懇親会も終盤に近くなり、明日の真田10万石祭りへの参戦について、雨模様が気にかかっており、どうしようかともがきつつ、私の頭の中は明日のスケジュールの再確認通知のタイミングを計り始めます。
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長野桜友会の会長様です。
太らず痩せ過ぎず、健康で居られるのは、妻でもある先生のお蔭だと、写真を観ても分かります。
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宴会終了後、東横インに宿泊される方々を、来られる時に預けた荷物と共に、朴沢事務局長がピストン輸送でお送りします。
事務局長以下スタッフの活躍には頭が下がります。
会場へ来る時のタクシー運転手から、長野は雨があまり降らない所で、大丈夫との情報もありましたので、それにすがる思いで、朝7:30に宿泊されている東横インへお迎えに参りますとのアナウンスをしてしまいましたが、これが後で大きな誤算となって現れようとは その時は思いもよりませんでした。
その他にも、我々の凄腕の女性陣は、タクシー運転手から長野の梨は、降水量が少なく寒暖の差が大きいので、富山呉羽梨より甘味が強く美味しいとか、宿の直ぐ近くに良い温泉がありますとの情報を引き出させていました。
闊達な女性陣が居ますと心強いですね。
ホテル到着後に女性陣がその温泉へ行ってきましたが、あまり快適では無かったようで、長野の梨も怪しくなり、一度試食してみる必要があると感じました。
翌日、いやな予感がして目覚めますと、小雨が降っており、重苦しい気分となります。
朝食がてら事務局と打ち合わせを行い、30分遅らせ8時に出発することにし、東横インの宿泊者に連絡を入れます。事務局ご苦労様です。
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昨日下見に来ました松代城太鼓門前から写した風景です。
意図的に少し暗めに撮りました。
山々の上の重苦しい雲と山間に霧状の雲が発生しているのが良くわかりますね。
8時半前後ですが暗く、気持ちまでも暗くなりそうです。
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第四次川中島合戦も新暦に直しますとちょうどこの時期なので、両軍ともこの霧を利用して合戦を行ったことが良く理解できます。
しかし、真田10万石祭実行委員会の10時には晴れるという情報を信じ、所定の位置に用意したブルーシートを広げ、陣取ることにします。
もちろん一番乗りです。
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陣取って居る所です。
皆様 雨合羽も着込み、周りの人から観れば、凄い集団と写っているようです。
私と事務局長は大会本部のテントに行き、予定を聞くついでに陣取り位置を通知し、我々のショバを宣言しますが、快く了解して頂き、様々な情報を提供してくださりました。
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松代町が用意したブルーシートが太鼓橋前の通路を挟んで、両側に敷かれますが、我々は独自にブルーシートを用意しており、その他 座布団・お菓子・飲み物・ホッカイロ等の配り、万全の体制で臨んでいます。
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大会本部の音声担当機器の緑のテントの直ぐ左横が、我々の陣取り位置で、既に座り込んでいます。
この頃になると、各大名行列単位で記念撮影を行います。
徳川家康・秀忠の行列隊が記念撮影の準備をしている所です。
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織田信長等・・様々な武者毎に撮影が進んで行きます。
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私の周りはこのような状態で、甲冑武者と一般見物人が混在しています。
このようなお祭りもめずらしいですね。
一体感を感じます。
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我々は南側の太鼓橋に陣取っていましたが、東側にある橋の前がメイン会場となっていますので、覗いて観ます。
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此処も甲冑武者達で溢れかえっています。
市民との交流も微笑ましいです。
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ステージのある方へ向かいます。
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ここではブルーシートを敷いて座ることができないので、太鼓橋で陣取っているのです。
舞台が出来上がり、演出を待つばかりとなっています。
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南口に戻りますと、ちょうど眞田隊の撮影がされており、なんと、殿が居られるではないですか!
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真ん中に居られるのが眞田信之殿の直系 14代当主の真田幸俊殿です。
急いで皆を呼びに走り、連絡します。
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突然、TBSテレビ局が私の方へ来られ、眞田さまをどう呼ばれますかと聞かれ、何を馬鹿なことを「殿」以外にないじゃないかと思い、「殿、殿ですよ」と言いますと、呼びかけてくださいと言われるや直ぐに「殿」と呼んでいました。
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アア・・ 殿がこちらを御覧になられた。
感激です。
前列の子供達も、このおっさん なんじゃと横目で観ています。
しかし、少しも怯まないのが我々桜友会です。
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元々無いのですが、恥も外聞も無く、舞い上がった我々はテレビ局を独占し、アピールに勤しみます。
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眞田家についての質問に答えている所です。
当代当主様で、こういったお祭りの武者行列に、直接参加され続けるのは眞田の殿ぐらいなのは常識で、それを応援にしにきた学習院桜友会であることを猛烈にアピールしています。
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朴沢事務局長もインタビューに参戦してきます。
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このように、抜け目の無い学習院桜友会・桜友の杜スタッフは、TBS撮影隊を逆に撮影しています。
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撮影隊の背後から撮影しており、我々が正面に向いているところです。
横のおじいちゃんは、単に寄ってきただけの人です。
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そうそう何時までも撮影隊に構っては居られない。
何が何でも 殿にご挨拶をしなければ。
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殿をゲットして、挨拶している所です。
TBS撮影隊もしつこく撮影していますね。
我々スタッフも負けじと撮影を行います。
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こうなれば 殿は我々のものです。
事務局長も直ぐにやってきました。
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朴沢事務局長も写るよう屈んで、1ショット。
事務局長も感激しています。
殿の凛とした端正な顔立ちが良く分かります。
松代町が歴史的根拠以外に殿を手放さない理由が良く分かるような気がします。
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長野桜友会の三井支部長も挨拶します。
純朴な彼はかなり緊張しているようです。
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しつこく 3人で殿を独占しています。
一般見学者、大会スタッフの方々ご迷惑をおかけしてすみません。
でも、殿との時間を少しでも長くしたいとの我が勝ってしまいます。
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テレビ局の方から皆さんで記念撮影をしてはと言われ、図々しい我々は、殿を挟んで1ショットです。
凛々しい端正な顔立ちの殿が一緒と、思わず皆で緊張してしまいます。
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後から駆けつけたメンバーも殿と一緒に1ショット。
事務局長が桜友会旗を広げ、アピールしています。
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観てください、この満足した面々を。
殿との出会いで、完全に夢心地です。
後は此処でアトラクションや行列を楽しむだけです。
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11時40分になったので、いよいよ眞田鉄砲隊の演武が始まります。
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太鼓橋に展開した眞田鉄砲隊です。
左に居られるのが、鉄砲隊指揮官で、号令を掛けます。
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カメラを構えて、発射の瞬間を捉えようとしますが、その瞬間 轟音と共に強い振動を感じ、カメラがブレそうになります。
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なんとか撮れましたが、予想を凌ぐ音と振動で驚いた為、コンマ何秒か遅れました。
白煙が凄いです。
皆さん慣れているのでしょうか、全然動じていません。
陣羽織を着た女性が銅鑼を鳴らします。
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鉄砲隊はかなりの回数 発砲しました。
直ぐ近くなので、大音響と空気振動がダイレクトに伝わり、実際の戦場では、それこそ生きるか死ぬかであったろうと思いを巡らします。
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眞田家に代々伝わる勝鬨太鼓の演奏です。
出陣時の演奏は勝鬨に比し、軽快な演奏で、戦の前にはできる限り気持ちが重くならぬようにしていたようです。
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演奏者もその当時の気持ちに成り切っており、迫力も有り 一体感がしました。
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大獅子の舞が披露されました。
大きいのに動きが機敏です。
今年 初参加だそうです。
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町ぐるみでこの眞田10万石祭りを盛りたて、皆で楽しんでいるのが感じられます。
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門が開き、小さな武者達が出てきました。
昨日 見学した眞田宝物館に手作り甲冑のコーナーがありましたが、そこで作ったのかな?
中には泣き出しそうな子も居て、思わず声援を送り、元気付けます。
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いよいよ、武者行列の開始です。
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赤陣羽織での釣鐘と法螺貝、武田かな?
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皆さん 草鞋の締め方が上手です。
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武田の四つ菱紋です。
花菱バージョンも在るのですよ。
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武田信玄です。
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次は徳川家康です。
葵紋は、家臣である本多家の立ち葵右離れ紋から葵を貰ったようですが、長野善光寺の寺紋も全く同じ立ち葵右離れ紋なのです。
本多忠勝の娘 小松姫が輿入れしたからでは無く、大化の改新時期以前からの重要な秘密が隠されていると感じます。
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立ち葵紋についての秘密については、今回の案内パンフレット(この画面での眞田宝物館「大阪夏の陣屏風」)でのクリック箇所を押して頂きますと、それに記載されています。
また、富山桜友会ー長野桜友会訪問記を観て頂ければ其処にもかなり詳しく記載してありますので、興味ある方はご覧ください。
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キンキラの家康が登場です。
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続いて、秀忠の登場です。
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これは皆さん分かりますよね。
そう、織田木瓜紋です。
よくある木瓜紋は四弁ですが、織田は五つ有ります。
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織田信長の登場です。
このサイトの管理者講演劇場ー新説本能寺の変に織田信長の人間なりを私の視点から観察した記事が載っていますので、ご覧ください。
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竹に雀紋、上杉ですね。
竹に雀は伊達家が上杉から貰ったようですが、伊達家の方がスタイリッシュな感じにチューンナップしています。
伊達家は正に伊達であったようです。(すみません 下手な洒落で)
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上杉景勝です。
上杉家についての詳しい解説は、本サイトの管理者講演劇場ー本多政重と本多家をご覧いただければ、関連事項として記載してあります。
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直江兼続の愛が特徴的です。
この馬と武士の大きさは、当時の実態を表しており、全てこういう感じで戦っていたと思ってください。
小柄な銀行の女性支店長さんが扮して木曽馬に乗馬しています。
そういえば、記念撮影時 兜の顎紐の締め方が分からなかったようで、私がして差し上げようと、動こうとしましたら、女忍者が素早く、結んでいました。
なかなかの女忍者でした。
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五七桐紋です。
お上より、皆貰っている紋(五三桐も有ります)ですが、豊臣秀吉はこれをメインに使っています。
最初は木下家の沢瀉紋(太閤になってからは福島正則へ沢瀉紋を下賜しています)を使っていましたが、より上の権威に弱い人だったようです。
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豊臣秀吉です。
実際の秀吉はもっと小柄で痩せていたようです。
富山県高岡市に有ります瑞龍寺の宝物館には、信長・秀吉・秀頼の直筆の掛軸が有ります。
字は体を現すと言いますが、性格が其々に分かり面白いですよ。
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豊臣秀頼です。
実際には秀吉の血は流れていなかったと確信しています。
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小松姫の登場です。
リオオリンピック シンクロナイズスイミング銅メダリストの箱山愛香さんが扮しています。
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眞田の旗指物が来ました。
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これは、江戸期の眞田の大名行列を模しているのでしょうか。
刀は刃を上にして腰に差していますね。
戦国時代では太刀が多く、刃は下側にして差します。
これについては、本サイトの管理者講演劇場ー元寇と日本刀の真実で詳細に記載してありますので、ご覧になってください。
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大名行列が宿場に入った時等に、馬印から発展した幟指物を華麗に演舞します。
今で言うならば、威力示威行為に近いかも知れません。
町民に受け継がれたのは火消しに代表される纏でしょうか。
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時代が戻って、眞田の武者行列の前触れです。
当時は此の旗指物で動員数を計っており、秀吉等は、これを逆手に取り、1人に何本も持たせて大人数に見せかけていたようです。
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眞田信之(信幸を徳川側に仕えた時点で改名)殿の登場です。
凛として立派な面持ちです。
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殿の連続スナップです。
このお姿を見ただけでも満足します。
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本多忠勝 小松姫のお父様の登場です。
槍の名手で、蜻蛉切と言われる非常に鋭利な槍を所持していました。
彼についても本サイト 管理者劇場ー本多政重と本多家をご覧くだされば詳しく記載されています。
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武者行列も終了して、少し静かになったので、TBSの取材録画をします。
伊藤麻子さんがインタビューアとなり、取材する格好での録画となりました。
伊藤麻子さんとツーショット。
話し易く、気さくな彼女でした。
放映は、平成28年11月21日の午後7時にTBS系でとのことでした。
暇があれば、皆様見てください。
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司会の落語家(すみません 名前を忘れました)とツーショット。
いつもこの祭りの司会をされるそうですが、殿のプロフィールを慶応大学からでは無く、学習院中等科・高等科から今後 ナレーションすることを約束されました。
我々は強引ですね。
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殿が街中を進んでおられる所です。
他の人とは違い、やはり血筋を感じさせられます。
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近くにある 和座季楽 象山亭で蕎麦会席を食します。
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これまた近くには、松代象山地下壕が在るので、見学に向かいます。
皆さんヘルメット着用して入っていきます。
大本営が移る予定だったそうで、凄い規模での地下壕となっています。
換気ダクトが整備されていない性もありますが、多くの犠牲者が出たようで壕内の空気は重かったです。
見学のみに使われていますが、折角多大な労力を注ぎ込んで掘られたのですから、貯蔵等 使い道は無いのか気になります。
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これで今回のツアーは終了し、富山へと向かいました。
そうそう、インターチェンジを間違えてた為、JA農協販売所でりんごや下仁田ねぎ等をお土産として買えなかったのが残念でしたが、ホテル信濃路でリーズナブルなリンゴ蜂蜜はしっかりとゲットしていました。
今後も各桜友会とコラボしながら、このような企画ツアーを行っていきたいと思いますので、皆様 是非参加の程をお願いいたします。
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