「北吉」は、おわら風の盆でも写真等でよく紹介される鏡町の中心部にあります。 通りにある行灯風の街灯に灯が燈っており、「北吉」の名前があるのがお分かりになるでしょうか。
この通りを通って行きます。
狭い通りですが、風情があります。
「北吉」の玄関が現れました。 雪や寒さを防ぐため、玄関引き戸は狭いながらも2重になっています。 おわらの八尾町は川沿いの狭い高地に住宅がひしめき合って建っているので、何もかもがコンパクトなのです。
「北吉」は、明治17年創業の 元々は「日進楼」という芸者達が集う置屋でしたので、その雰囲気が今も脈々と流れています。
「北吉」の座敷から観た庭先の風景です。
狭いながらも良く手入れの行き届いたお庭です。
今では見掛けなくなった簾(1本1本しっかりとした細木が組んであります)が見事です。
座敷に上がる手前の控えの間の隅には、囲い屏風が置いてあります。 小粒ながらも、江戸時代より生糸生産地として栄えてきた八尾の富の蓄積を感じさせる部屋です。
控えの間の座敷へと続く境の角です。
品の良い違い棚と見事な松の描かれた襖が見事ですね。
座敷に入ります。
控えの間の床です。
格子窓上部にある木工細工の精緻さと、年代を感じさせるテカリに目を奪われます。
本床の間には、浄土真宗の坊さん 大谷光照の「光月日超」の掛軸が掲げられています。 仏教の神光〜を捩ったものでしょうか。
太陽や月の明かりで見えるものを超えた、心の光を という意味でしょうか。
シンプルな品の良さを感じます。
本床の間の横にある付書院の間です。
飾り棚、欄間が見事です。
精緻なつくりの良い欄間が部屋を引き締めています。
ごちゃごちゃしておらずセンスの良いものです。
この欄間は近江八景をモチーフに井波彫刻の最高峰である番匠屋15代目 田村与八郎の作です。 横道に逸れますが、井波町は瑞泉寺の門前町として栄えてきましたが織田信長の命で、佐々成正により焼き払われてしまい、再興しています。
人が着く前に、お膳が配列された状態です。
おわら風の盆の踊りを観賞する前の乾杯をしています。 初めて顔を合わす人も居ますが、共通の目的に直ぐ打ち解けて話が弾みます。 皆様 これからのイベントに期待感いっぱいです。
地元産の鮎の塩焼きと、バイ貝の煮物のメインです。
焼き茄子の煮浸しです。
白海老の剥き身盛り合わせと酢の物です。
唄い手と地方(じかた)と呼ばれる三味線、胡弓、太鼓の伴奏者と囃子方が庭に集まってきました。 踊り手が来るのが待ち遠しいです。
チューニングも終わり、いよいよ開幕です。
座敷に居る我々も緊張し、食するのを忘れます。
「男踊り」が始まりました。 おわらの踊りには3種類有り、「豊年踊り」、「男踊り」、「女踊り」となっています。 「豊年踊り」は、旧踊りと言われ、手の所作が細やかなもので、新踊りの農作業を表現した力強い「男踊り」と、蛍狩りを表現した「女踊り」となっています。
力強く、所作が大振りで、迫力があります。
「男踊り」の踊り衆が引き下がり、今度は「女踊り」が始まりました。
優雅で色気がある踊りで、 思わず見入ってしまいます。
・・・・・・・・・・伴奏とも合い、見とれています。
座敷から眺めたショットです。
我々で独占しているのがもったいなく思えてきます。
今度は男衆も参加し、踊りのハーモニーがなんとも言えずただただ見惚れます。
「男踊り」と「女踊り」では所作が違いますが、一致する場面があり、良いですねー。
雨の日は、庭で踊るのではなく、座敷の中でおどってくれます。
かぶりつきで観れます。
これも雨の日バージョンですよ!
女踊りが座敷で披露されます。
かぶりつきの踊りを堪能した後は、町の通りに繰り出して、町流しを見物します。
子供達が先頭に踊りながら街流しをしています。
勇壮な男踊りが先頭を務めながら後に女踊りの女人衆が続きます。
地方(音楽担当)衆も一緒に街流しに加わっています。
横の路地の先で何かやっています。
観に行ってみましょう。
歳の若い子達が下り階段の広場でおわらの練習をしています。
かなり厳しい練習です。
こちらも緊張しながら観守ります。
一列になって踊りの振りを合わせる練習みたいです。
皆さん 地方の厳しい練習を頑張っています。
曳出は9時に聞名寺から、19時から十三石橋詰から、提灯山曳出しがされます。
曳山会館では、ビデオ鑑賞後、舞台で教育指導部によるおわらの教習指導がありますが、これはその前の教育指導部による舞の披露です。
舞の仕草が見事に揃っています。
さすがです。
八尾曳山祭りは毎年5月3日に行われますので、この行事に参加されたい方は、「北吉食事会」は、5月上旬までに、「八尾曳山祭り」は、6月下旬までに下記用件を記載の上、事務局へお申し込みください。