初めて善光寺へ行ったのですが、行って見て、驚きました。
其処彼処に寺紋の立葵右離れ紋(前田藩筆頭家老の本多家の紋でもあります)が付いているではないですか。
眞田信之に嫁いだ小松姫(本多忠勝の娘)の関係か?、いやそれだけでは徳川が葵紋を許す筈が無い。
やはり古代日本国の根源的なものと葵紋は同期していると考えるのが順当と思い、本田善光、本多(田)家の関連を考えると身震いさえいたしました。。
宮元健次氏が「善光寺の謎」という本を書いておられ、その内容によると、善光寺は聖徳太子と蘇我氏に滅ぼされた物部守屋の鎮魂寺ということになっています。
この寺の阿弥陀如来は百済から渡来しており、それを運んだのが本田善光となっていますが、物部守屋を殺めたのは、秦河勝で、彼が実際に阿弥陀仏を運んだのではないかとの事です。
また、秦河勝は九州の宇佐八幡宮(全国八幡宮総本山)を建設しており、祭っている神様は誉田別(ほむだわけ:応神天皇)です。
また、百済滅亡時の義慈王の子は、善光と言われており日本へ来たと言われています。
上記からの事を併せて考えますと、どうもこの人が本田善光ではないかと想像させられますので、葵紋もその時に一緒にと考えさせられます。
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